のう、「学校の怪談」って言われて浮かぶの、理科室の人体模型が夜中に歩き回るやつとか、音楽室のベートーヴェンの肖像画が血の涙流すやつとか、そのへんじゃろ? トイレの花子さんもおるけど、一番「らしい」のはやっぱり理科室な気がするんじゃが。
実はそこ、直感とズレるところなんです。教育社会学者の吉岡一志さん(山口県立大学准教授)が怪異の発生場所を調べたところ、圧倒的に多いのはトイレで、次点が普通教室。理科室や音楽室のような特別教室は、むしろ少数派だったんですよ。
怪談が生まれる場所には、思っているより偏りがある。
「学校の怪談」というジャンルには、およそ半世紀ぶんの採集と研究の蓄積がある。民俗学者が記録した口承文芸としての側面と、教育社会学者が統計で検証した子ども文化としての側面、その両方を並べると、「なぜその教室なのか」「なぜその像なのか」という問いに、思ったより具体的な答えが返ってくる。理科室の人体模型でも音楽室のピアノでもなく、なぜトイレと二宮金次郎像がこのジャンルの主役になったのかを追っていく。
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学校の七不思議、そもそも「型」は何種類あるのか
「学校の七不思議」って言うくらいじゃから、7種類できっちり決まっとるんかと思っとったんじゃが、地域によって全然違う話も聞くのう。
「7」というのは語呂であって、実際に語られる型の数はもっと多いんです。まず定義から確認すると、日本民話の会学校の怪談編集委員会は『学校の怪談大辞典』(1996年、ポプラ社)で、「学校の怪談」を「おもに学校やその周辺を舞台にして、子どもたちによって語られる怪談」と定義しています。
この分野を体系立てて世に出したのは、中学校教員から民俗学者に転じた常光徹氏である。常光氏は生徒から直接聞き集めた話をもとに、1990年に児童向けの『学校の怪談』第1巻(講談社KK文庫、楢喜八・絵)を刊行した。これが翌年以降の一大ブームの発火点になり、シリーズは1997年までに9巻を重ねている。3年後の1993年、常光氏は同じ調査を学術的に体系化し、『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』(ミネルヴァ書房)としてまとめた。この学術書はいまも研究者に「常光(1993)」として引用され続ける、この分野の基礎資料になっている。さらに遡ると、児童文学者の松谷みよ子氏が1987年に『現代民話考 第二期Ⅱ 学校』(立風書房)で、学校を舞台にした子どもの怪談をすでに体系的に採集していた。
Wikipedia「学校の怪談一覧」が拾っている話を舞台別に整理すると、怪異はいくつかの決まった「型」に収まる。
つまり「七不思議」という言い方は慣用句としての語呂にすぎず、実際の型は舞台の数だけ存在する。重要なのは型の総数ではなく、なぜこの限られた舞台が学校ごとに繰り返し選ばれるのか、という点である。
なぜ理科室でも音楽室でもなく「トイレ」が最も多いのか
でもやっぱり一番「それっぽい」のは理科室の人体模型とか音楽室の肖像画じゃろ? 王道って感じがするし。
そこが直感とズレるところなんです。吉岡さんはnippon.comのインタビュー(2023年8月30日掲載)で、怪異が起きるとされる場所について「圧倒的に多いのがトイレです」「次が普通教室です」と答えていて、理科室や音楽室のような特別教室はむしろ少数派だと述べているんです。
民俗学ではトイレは古くから「厠神(かわやがみ)」が宿るとされ、この世とあの世の境界にある空間として語られてきた。だが吉岡氏はそれとは異なる説明を示す。「日常的に子どもたちの利用頻度が高い場所に出現する」ことと、「特定の個室や時間帯を限定できるため、条件を付けやすい」ことが、トイレを最多にしているという指摘だ。「花子さん」が3階の3番目の個室にだけ現れる、という設定そのものが、恐怖を自分でコントロールできる範囲に閉じ込める仕掛けになっている。
古い和式便所は深く暗い穴を持ち、この世とあの世の境目に位置づけられてきた。江戸期から昭和初期にかけては、赤や白の人形や造花を供える「厠神」信仰が各地にあった。戦後この信仰が薄れたあとも、トイレに造花を置く習慣だけが名残として残った。
境界かどうかより先に、そこが子どもの利用頻度が高い場所であること。そして「3階の3番目の個室」のように出現条件を限定できるからこそ、怖がる範囲を自分で調整できる。理科室や音楽室は利用頻度も条件の限定しやすさも劣る。
どちらが正解というより、境界という物語的な説明と、条件付けという機能的な説明が、別のルートから同じ「トイレ」という結論にたどり着いている、と見たほうがいい。
「花子さん」という名前は、どうやって全国に広まったのか
「花子さん」という固有名詞は全国共通だが、その中身は地域ごとにかなり違う。Wikipedia「トイレの花子さん」の記述によれば、長野県では「ゆきこさん」、千葉県では「みーちゃん」と呼ばれる類話が報告されており、兵庫県では花子さんに家族や一族の設定まで作り込まれた事例もある。個室番号も「3番目」が典型とされる一方、埼玉県には「4番目」という説もあるという。
各地に類話の兆し
「三番目の花子さん」と呼ばれる話が地域で語られていたとする記述がある(Wikipedia「トイレの花子さん」)。ただしこの段階の活字記録は確認できておらず、年代・発祥地の特定はできない。
学校を主題にした最初期の体系的採集
児童文学者・松谷みよ子が『現代民話考 第二期Ⅱ 学校』(立風書房)で、子どもたちが語る学校の怪談を採集・分類した。
児童向けシリーズが全国的ブームに
常光徹・楢喜八『学校の怪談』第1巻(講談社KK文庫)刊行。以後1997年まで続巻し、テレビ・映画・漫画へ波及する一大ブームの起点となった。
学術書としての体系化
常光徹『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』(ミネルヴァ書房)刊行。以後の研究者が「常光(1993)」として参照する基礎文献になった。
Jホラーブームとの接続
一柳廣孝編著『「学校の怪談」はささやく』(青弓社)が、学校の怪談ブームをその後のJホラー流行の起点のひとつと位置づけた。
固有名詞や個室番号は地域ごとに書き換わっても、「特定の個室・特定の時間・呼びかけへの応答」という骨組みは全国でほぼ共通していた。前段の「条件付けのしやすさ」という説明と、この骨組みの共通性は矛盾しない。
「抑圧されているから怖い話を語る」という説は、アンケートでは支持されなかった
でも子どもが怖い話に夢中になるのって、学校や家で抑圧されとる反動なんじゃないん? 「教育ママ」がどうとか、そういう話をよく聞くし。
それ、90年代から長く信じられてきた「抑圧への抵抗」説なんですけど、実際にアンケートで検証した研究があるんです。吉岡さんが2007年に東北・近畿・中国地方の公立小中学校7校、児童生徒1,292人を対象に行った調査(吉岡, 2013)では、思ったほどきれいには出ませんでした。
「お化けや幽霊が登場する物語」を好むと答えた子どもは54.4%で、読書を好むと答えた56.5%とほぼ同水準だった。性別による差は見られず、学校段階別では、反学校的な価値観が強くなるはずの中学生(70.4%)より、小学生(76.6%)のほうが有意に高かった(p<0.05)。「学校の決まりはいつも守っている」といった向学校的な生徒文化との相関も確認されず、「学校の決まりを守らない子どもほど怖い話を求める」という抑圧仮説が想定する構図は、この調査データからは見えてこなかった。
唯一相関が見られたのは、小学生において「友だちといつも一緒にいたい」という項目だった。ここから吉岡氏は、「抑圧への抵抗」ではなく、友人関係を築くための「コミュニケーションツール」として怪異譚が語られている、という代替仮説を示している。1990年前後には「教育ママ」への抵抗という語りが社会に広く流通しており、それが「学校の怪談」ブームの説明として自然に受け入れられた。だが実際に子どもへ聞いてみると、話の中心はむしろ友人とのつながりのほうにあった。
「動く二宮金次郎像」に見る、モノが背負う型
トイレや理科室が「空間」の型だとすれば、校庭に立つ二宮金次郎像は「モノ」の型である。しかもこの像には、怪談以前にすでに一段階のフィクションが仕込まれている。
「薪を背負いながら本を読んで歩く」金次郎の姿は、1891年刊行の幸田露伴『二宮尊徳翁』の挿絵が初出とされる後世の創作である。尊徳の実像を伝える尊徳記念館によれば、実際の金次郎は薪を背負って歩きながら暗唱していたのであって、「歩きながら本を読む」姿ではなかったという。それでも「勤労」と「勤勉」という二つの美徳を一目で伝える図像として、この挿絵は近代以降の学校に広まり、全国の校庭に像として建てられていった。
元は勤勉の象徴として建てられた実在の人物像。「歩き読み」の姿自体が明治期の創作。
怪談化の条件: 屋外に立つ実物大の人型 ◎/すでに一度創作を経た図像 ◎
教材として置かれる「本物に似せた静物」。等身大に近いほど不気味さが増す。
怪談化の条件: 人体に近い形状 ◎/夜間に室内へ放置される ○
作曲家の顔だけが壁に並ぶ、学校では珍しい「顔のあるもの」の展示。
怪談化の条件: 顔がある ◎/本人の来歴は生徒に知られていない △
歩きスマホの危険性が問題視されるようになった2016年前後からは、逆に金次郎像を座らせる自治体も出てきた。滋賀県大津市では2016年3月、保護者から「歩いて本を読むのは危険」という意見が寄せられたことをきっかけに、全国で初めて公道に面した場所へ座像を新設した例が報じられている。怪談が像に「歩き出す」という第二の創作を足す一方で、現実の安全対策は同じ像から「歩く」という要素そのものを削ろうとしている。二つの動きは無関係だが、どちらも同じ一枚の挿絵が生んだ「歩く金次郎」という像に、あとから別の意味を上書きしている点は共通している。
大人はいつから子どもに怪談を語らなくなったのか
そういえば、うちの担任が怪談話をしてくれたことなんて一度もなかったのう。
吉岡さんの2021年の論文(『子ども社会研究』第27号)が教員14名に聞くと、「同僚とは怪談を語り合うのに子どもには語らない」状態が見えました。「無関心という関与」と名づけられています。管理職や保護者の目が絡む、単純な抑圧の話ではないようです。
……筋は通ってる。だがそれで「消えていい」にはならねえ。同僚とは話すのに子どもとは話さない、ってことは、先生と子どもが同じ話で笑う機会がひとつ減ったってことだ。
この記事について
怪談を「デマだから終わり」と切らず、その舞台と語り手が繰り返し選ばれる型を追った。怖い話をキャラクターの掛け合いで読ませようとしているこの記事自体も、同じ型の中にいる。
結局、一番よくできとるのは幽霊の設定じゃのうて「怖がる範囲を自分で決める」子どもの知恵のほうじゃったんじゃな。……わしも小さい頃、押し入れの一番奥の段だけは覗かんようにしとった。理由なんて特になかったんじゃが、あそこだけは怖い場所にしておきたかったんじゃ。
学校の怪談の型は、舞台とモノの条件から生まれる
理科室でも音楽室でもなくトイレが最多になるのも、二宮金次郎像が動き出す設定を背負うのも、偶然ではない。半世紀ぶんの採集と検証が積み上がった結果、舞台装置としての学校空間には一定の条件が見えてきた。
空間の型
モノの型
語り手の条件
大人の不在
主な参照資料:
- 常光徹『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』ミネルヴァ書房 — 学校の怪談を口承文芸として体系化した基礎文献(1993年)
- 講談社『学校の怪談(1)』(常光徹・楢喜八)製品情報 — 1990年刊行、ブームの起点となった児童向けシリーズ第1巻
- 紀伊國屋書店『現代民話考7 学校・笑いと怪談・学童疎開』(松谷みよ子) — 原著は松谷みよ子『現代民話考 第二期Ⅱ学校』立風書房、1987年
- 青弓社『「学校の怪談」はささやく』(一柳廣孝 編著) — 学校の怪談ブームとJホラーの接続を論じた研究(2005年)
- 吉岡一志「子どもはなぜ『学校の怪談』を語るのか――アンケート調査による抑圧説の検証――」山口県立大学学術情報 第6号(共通教育機構紀要 通巻第4号)2013年 — 1,292人対象の統計調査
- 吉岡一志「子ども文化論再考――『学校の怪談』をめぐる教師と子どもたちの編み合わせ――」子ども社会研究 第27号(2021年) — 教員インタビューによる「無関心という関与」の分析
- 吉岡一志「『学校の怪談』ブームの社会的背景――恐怖のパラドックスの心理学的理解に基づいて」山口県立大学基盤教育紀要 第3号(2023年) — 恐怖と楽しみの同時活性化モデルからブームを再検討
- nippon.com「『学校の怪談』から見えてくる子どもたちの日常と教師との『分断線』」(吉岡一志氏インタビュー、2023年8月30日) — 怪異発生場所の頻度に関する言及
- Wikipedia「学校の怪談一覧」 — 舞台別の怪談一覧
- Wikipedia「トイレの花子さん」 — 名称の地域差に関する記述
- J-CAST ニュース「『二宮金次郎』が『歩きスマホ』を誘発する? 学校から撤去、『座って本読む』銅像も登場」 — 座像化の経緯と挿絵の初出
参考文献・検証ログ
- 常光徹『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』ミネルヴァ書房
- 講談社『学校の怪談(1)』(常光徹・楢喜八)製品情報
- 紀伊國屋書店『現代民話考7 学校・笑いと怪談・学童疎開』(松谷みよ子)
- 青弓社『「学校の怪談」はささやく』(一柳廣孝 編著)
- 吉岡一志「子どもはなぜ『学校の怪談』を語るのか――アンケート調査による抑圧説の検証――」山口県立大学学術情報 第6号(共通教育機構紀要 通巻第4号)2013年
- 吉岡一志「子ども文化論再考――『学校の怪談』をめぐる教師と子どもたちの編み合わせ――」子ども社会研究 第27号(2021年)
- 吉岡一志「『学校の怪談』ブームの社会的背景――恐怖のパラドックスの心理学的理解に基づいて」山口県立大学基盤教育紀要 第3号(2023年)
- nippon.com「『学校の怪談』から見えてくる子どもたちの日常と教師との『分断線』」(吉岡一志氏インタビュー、2023年8月30日)
- Wikipedia「学校の怪談一覧」
- Wikipedia「トイレの花子さん」
- J-CAST ニュース「『二宮金次郎』が『歩きスマホ』を誘発する? 学校から撤去、『座って本読む』銅像も登場」
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参考資料
- 参考常光徹『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』ミネルヴァ書房minervashobo.co.jp
- 参考講談社『学校の怪談(1)』(常光徹・楢喜八)製品情報kodansha.co.jp
- 参考紀伊國屋書店『現代民話考7 学校・笑いと怪談・学童疎開』(松谷みよ子)kinokuniya.co.jp
- 参考青弓社『「学校の怪談」はささやく』(一柳廣孝 編著)seikyusha.co.jp
- 一次吉岡一志「子どもはなぜ『学校の怪談』を語るのか――アンケート調査による抑圧説の検証――」山口県立大学学術情報 第6号(共通教育機構紀要 通巻第4号)2013年ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp
- 一次吉岡一志「子ども文化論再考――『学校の怪談』をめぐる教師と子どもたちの編み合わせ――」子ども社会研究 第27号(2021年)jstage.jst.go.jp
- 一次吉岡一志「『学校の怪談』ブームの社会的背景――恐怖のパラドックスの心理学的理解に基づいて」山口県立大学基盤教育紀要 第3号(2023年)ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp
- 一次nippon.com「『学校の怪談』から見えてくる子どもたちの日常と教師との『分断線』」(吉岡一志氏インタビュー、2023年8月30日)nippon.com
- 参考Wikipedia「学校の怪談一覧」ja.wikipedia.org
- 参考Wikipedia「トイレの花子さん」ja.wikipedia.org
- 参考J-CAST ニュース「『二宮金次郎』が『歩きスマホ』を誘発する? 学校から撤去、『座って本読む』銅像も登場」j-cast.com