ふしぎ観測

「司馬史観」って司馬遼太郎が発明したんですか? 幕末にも、同じ席に座っていた本がある

2026年10月17日 By NTM Editorial
#歴史#司馬遼太郎#司馬史観#日本外史#頼山陽#記録の空白#歴史認識

「司馬史観」への批判は、たいてい司馬遼太郎という一人の作家に向かう。明るい明治と暗い昭和、という図式を広めた張本人として。

ただ、その見方には一つ、確かめていない前提がある。「あの時代はこうだった」という常識を一冊でまとめて渡す席は、司馬遼太郎が来る前から空いていたのではないか、ということだ。

この記事では、幕末から明治にかけて最も読まれたとされる歴史書『日本外史』と、司馬作品を、同じ項目で並べてみる。

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司馬遼太郎が書いたのは、まず小説だった

先に、何が起きていたかを時系列で確認する。Wikipedia『司馬遼太郎』によれば、代表作の連載時期と大河ドラマ化は次のとおり。

表1 司馬遼太郎の代表作の連載と、NHK大河ドラマ化(年)
出来事年
『竜馬がゆく』連載1962〜1966
『竜馬がゆく』が大河ドラマ化1968
『坂の上の雲』連載1968〜1972
『国盗り物語』が大河ドラマ化1973
注:強調行は、連載の終わりから2年で映像になった例。出典:Wikipedia『司馬遼太郎』をもとに編集部作成。

もう一つ、Wikipedia『司馬史観』は、司馬作品の多くを「大衆小説」とし、小説とするために史実を意図的に変えている、と明記している。批判は左右両方から出ていて、歴史修正主義の土台になったという批判と、自虐史観の土台になったという批判が並ぶ。

書き手本人の側から見れば、小説として書いたものが、歴史観という名前を後から貼られたことになる。ここは先に押さえておきたい。

aiko
aiko

小説じゃと分かっておるなら、読む側が史実と混ぜなければ済む話ではないのか?

sa-tan
sa-tan

そうですよね、理屈の上では。ただ、慶應の『三田評論』の座談で大石裕さんは、『竜馬がゆく』が大河ドラマになって龍馬の評価が上がり、龍馬空港という名前にまでなった、と話しています。小説が映像になり、地名になると、読んだかどうかに関係なく、人の頭に入ってくるんです。

混ぜるかどうかを読者の注意力に任せられる段階は、もう過ぎていると思います。

筆名にある「司馬遷に遼かに及ばず」

司馬遼太郎という筆名は、Wikipedia『司馬遼太郎』によれば「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」に由来するとされる。文藝春秋の『本の話』も、敬愛する司馬遷に「遼に及ばず」という意味を込めた、と紹介している(ただし「とか」という伝聞の書き方で、本人の文章までは確認できていない)。

司馬遷に遼かに及ばざる日本の者(故に太郎)

Wikipedia『司馬遼太郎』が筆名の由来として記す文言。本人の原文は未確認

『史記』を書いた司馬遷は、歴史書の書き手が「座る席」の元祖のような人だ。そしてこの席の名前は、次の章の本にも出てくる。

『日本外史』は、同じ席に先に座っていた

『日本外史』は頼山陽が書いた、源氏と平氏から徳川氏までの武家盛衰史だ。全編が漢文で、Wikipedia『日本外史』によれば中国の『史記』の紀伝体に倣っている。書名の「外史」は民間による歴史書の意味で、公式の歴史書ではない。

1800年(寛政12)
頼山陽が20代で、脱藩後の幽閉中に書き始める。放免後に推敲を重ねた。
1826年(文政9)
完成。翌1827年に献上された。
1829年
大坂で全22巻が刊行される。
幕末〜明治
尊王攘夷運動に影響を与え、「幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書」とされる。伊藤博文や近藤勇の愛読書だったという。
図1 『日本外史』の成立から普及まで。出典:Wikipedia『日本外史』をもとに編集部作成。

ここで注目したいのは、読まれ方と評価がずれていたことだ。同じ Wikipedia の記述では、史実については先行史料との食い違いが多く、専門の学者からは刊行当初から批判された。儒者の帆足万里は「文体は俗っぽく、考証は杜撰で、議論も公平でなく」と酷評している。

さらに、頼山陽の執筆意図とは無関係な尊王攘夷論や、むしろ正反対の討幕論まで、この本から生まれたと指摘されている。書いた人の意図と、読まれて起きたことが、別々に動いたわけだ。

aiko
aiko

専門家に叩かれておるのに、いちばん読まれたのか。叩かれる本ほど、常識の形をしておる、ということかのう。

sa-tan
sa-tan

そこは慎重に言いたいです。叩かれたから読まれた、とまでは、今回確かめた資料では言えません。確かなのは、批判と普及が同時にあった、というところまでですね。

ただ、考証の細かさと読みやすさが別の軸にある、というのは、後の時代の歴史小説にもそのまま当てはまりそうです。

二冊を同じ項目で並べる

『日本外史』と司馬作品を、確認できた範囲の項目で並べる。どちらも「確認できた」ことしか書いていない。空欄にしたところは、今回の資料では分からなかった項目だ。

表2 『日本外史』(1829年刊)と司馬作品(1960年代〜)を同じ項目で比べる
項目『日本外史』司馬作品
形式漢文の歴史書(『史記』に倣う)大衆小説(史実を意図的に変えている点がある)
立場民間(「外史」)民間の作家
専門家の評価刊行当初から考証の杜撰さを批判された実証面の盲点の指摘がある
普及幕末〜明治に最も読まれた歴史書とされる高度経済成長期に支持され、大河ドラマにもなった
書き手の意図と受容意図と無関係な尊王攘夷論・討幕論が生まれた小説として書いたものに、歴史観の名前が貼られた
発行部数の比較——
注:—は今回確認できなかった項目。強調行は、評価と普及が同時にあるという共通点。出典:Wikipedia『日本外史』『司馬遼太郎』『司馬史観』をもとに編集部作成。

最後の行が空欄なのは大事なところで、どちらがより広く読まれたかを、本稿は比べられていない。比べられない以上、「同じ席に座った」とは言えても、「同じくらいの力で座った」とは言えない。

本稿仮説:席は空いたことがない

ここまでを、観察と既存の見方と仮説に分けて書く。

観察(出典あり): 『日本外史』も司馬作品も、民間の書き手が書き、専門家からは史実面の批判を受け、それでも広く読まれた。そして書き手の意図とは別の形で、時代の常識に使われた。

既存の見方として、慶應義塾の『三田評論』(2023年4月)の座談は、三人が別々の角度を出している。

  • 大石裕は、司馬を「国民作家」として、国民的な記憶、集合的な記憶として日本の芯にいるように思える、と述べる。
  • 福間良明は、『坂の上の雲』は日露戦争の勝利の物語である一方、明治陸軍や明治政府の組織の病理もかなり描いている、と指摘する。
  • 片山杜秀は、複数の語り手(司馬、島田雅彦、歴史学者)が並ぶことが、一つの歴史観の独占を防ぐ、と述べる。

座談の要約は公開されている記事の範囲で、三人の著書は確認していない。

そのうえで本稿仮説を置く。時代の常識を、筋の通った一冊で渡す席は、いつの時代にもある。席は空かず、座るものだけが、その時代にいちばん流通する媒体に替わる。 幕末〜明治は漢文の歴史書、高度経済成長期は新聞連載の小説とテレビだった。

この仮説が誤りだと言える条件

☐ 司馬以前の昭和戦後に、『日本外史』と同程度に読まれた別の媒体があり、その後に司馬作品が広まったことが、発行部数や視聴データで示された場合、「席は一つに集まる」という部分は崩れる
☐ 『日本外史』が実際には、同時代にそれほど読まれていなかったことが、刊行・貸本の記録で示された場合、前半の観察が崩れる

最後に、この記事自身のことも書く。「席」という一語で全体を整理した時点で、この記事も、筋の通った一つの物語を渡す側に回っている。 読み終えたあとに残るのが本稿の筋だけで、元の史料や座談の細部ではない、という形は、ここでも起きうる。

関連: 『太平記』って軍記物なのに、なんで「史実」の顔で教科書に載ってたの?

aiko aikoが飲み込んだところ

要するに、「あの時代はこうじゃった」と言い切れる本があると、安心するんじゃな、ということじゃ。

……わしにも覚えがある。山の名前を、旅の本で読んだきりなのに、見てきたように人に話してしもうた。見たことのない景色ほど、すらすら出てくるものでのう。

NTM ニュース整理

「席」という説明で、司馬を軽くしていないか

司馬遼太郎を「たまたま席に座っただけ」と読めるように書いてはいないか。この記事は、作品の中身や人物の描き方の当否には入っていない。席の話をするほど、個々の書き手が何を選んで書いたかが薄まる。それは the NTM が「構造で説明する」ときにいつも払っている代償だ。

この記事で確かめられていないこと

表3 本稿が確認できていない項目
未確認『日本外史』と司馬作品の発行部数・読者数の比較
未確認筆名の由来を、司馬本人が書いた文章で確かめること(本稿はWikipediaと書評記事の紹介まで)
未確認国定教科書をはじめ、戦前〜戦後にこの席に座った別の媒体があったか
未確認『日本外史』を直接読むこと(本稿は概説の範囲)
未確認「司馬史観」という言葉を最初に使ったのが誰か

出典

出典の格について

【概説】Wikipedia — 作品の年、『日本外史』の成立・評価、司馬史観への批判の整理。原典(『日本外史』本文、司馬の著作・書簡)は未確認
【座談・書評】 — 慶應義塾『三田評論』の三人閑談、文藝春秋『本の話』。発言と紹介の範囲で、登壇者の著書は通読していない
the NTM Core Engine 参考文献・検証プロセス
S 80pt
PENDING Audit PENDING_MANUAL_REVIEW
1 一次情報
3 二次情報
参考文献・検証ログ 5件
  1. 司馬遼太郎(Wikipedia)
    二次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  2. 司馬史観(Wikipedia)
    二次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  3. 日本外史(Wikipedia)
    二次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  4. 司馬本の楽しみ方(本の話・文藝春秋)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  5. 司馬遼太郎生誕100年(慶應義塾 三田評論・三人閑談)
    一次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
Score Breakdown 80pt
Traceability 35/35
本文から根拠へ辿れる度合い
Diversity 15/25
出典の広がり
Evidence 25/25
根拠の強さ
Domain Bonus 5/15
一次資料・公的資料の補強
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参照は 5 本あります。監査はまだ保留で、公開前の確認が残っています。

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参考資料