駅員が乗客の背中を押して、ドアを閉める。コロナ禍で満員電車が姿を消したとき、あの光景も一緒に消えたと思った人はいるだろう。国土交通省が2026年7月28日に公表した令和7(2025)年度の三大都市圏の鉄道混雑率は、東京圏で143%。ピークだった昭和50(1975)年度の221%と比べれば、ずいぶん低い。ところが文春オンライン(2025年9月8日)は、JR東日本の駅で乗り切れない乗客を押す仕事が続いていると報じている。
数字は下がっているのに、押す仕事は残っている。この食い違いは、混雑率が何を測った数字なのかを見れば、ほどける。
押し屋というのは、昭和の写真に出てくるもんじゃと思っとったぞ。国の数字でも東京圏は143%まで下がっとるんじゃろ? ならば押す人はもう要らんはずじゃが、いまも押しとる駅があるとは、どういうことじゃ?
どちらも本当なんだと思います。ただ、同じ「混んでいる」を、違う長さで切り取っているんです。まず143%が何の数字なのかを確かめましょう。
「143%」は、最も混む1時間をならした数字
国土交通省は毎年、三大都市圏の主要区間の混雑率を公表している。令和7年度の対象は東京圏31区間・大阪圏20区間・名古屋圏8区間で、東京圏は143%(前年度139%)、大阪圏は117%(同116%)、名古屋圏は126%(同126%)だった。
混雑率は、輸送人員を輸送力で割って100を掛けたもの。そして報道発表の注記には、混雑率は「最混雑時間帯1時間の平均」と書かれている。1時間をならした割り算なので、その中でいちばん詰まった数分も、ドアの前と車両の中ほどの差も、数字の中には出てこない。
目安の文面は、年度によって変わっている。令和4年度の資料にあった「新聞が読めるか」を物差しにした書き方が、令和7年度の資料では「体の触れ方」と「ドア付近の動き」に置き換わった。国土交通省は、時代に即した表現に見直したと注記している。
| 混雑率 | 令和7年度版の目安 | 令和4年度版の目安 |
|---|---|---|
| 100% | 座席につくか、座席前の吊革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる | 定員乗車(座席につくか、吊革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる) |
| 150% | 肩が触れ合わない程度。ドア付近の人が多くなる | 広げて楽に新聞を読める |
| 180% | 肩が触れ合い、やや圧迫感がある。ドア付近の人は窮屈となり、体の向きを変えるのが困難となる | 折りたたむなど無理をすれば新聞を読める |
| 200% | 体が触れ合い、相当圧迫感がある。ドア付近の人は身動きがとれない | 体がふれあい相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める |
| 250% | (令和7年度版の資料には掲載なし) | 電車がゆれるたびに体が斜めになって身動きができず、手も動かせない |
出典:国土交通省「令和7年度の三大都市圏の鉄道混雑率」資料1(PDF)、「令和4年度の三大都市圏の鉄道混雑率」資料1(PDF)
新聞を読めるかどうかの目安が消えたのは、いまどき電車で新聞なんぞ読まんからじゃろうな。……しかし、新しい目安はやけに「ドア付近」の話が多いのう。
見直しの理由は資料に書かれていないので、そこは言い切れません。ただ、150%も180%も200%も、文面にドア付近の人の様子が入っているのは確かです。物差しが「読めるか」から「体がどう触れ合うか」に移ったのだと思います。
221%から107%へ、そして143%へ戻った
では、この数字はどう動いてきたのか。東京圏は昭和50年度の221%から、令和元(2019)年度の163%まで下がり続けた。令和2(2020)年度はコロナ禍で107%まで落ち、そこから令和7年度の143%まで毎年上がっている。
| 年度 | 東京圏 | 大阪圏 | 名古屋圏 |
|---|---|---|---|
| 昭和50(1975) | 221 | 199 | 205 |
| 平成元(1989) | 202 | 168 | 175 |
| 平成10(1998) | 183 | 147 | 157 |
| 平成20(2008) | 171 | 130 | 139 |
| 令和元(2019) | 163 | 126 | 132 |
| 令和2(2020) | 107 | 103 | 104 |
| 令和3(2021) | 108 | 104 | 110 |
| 令和4(2022) | 123 | 109 | 118 |
| 令和5(2023) | 136 | 115 | 123 |
| 令和6(2024) | 139 | 116 | 126 |
| 令和7(2025) | 143 | 117 | 126 |
出典:国土交通省「令和7年度の三大都市圏の鉄道混雑率」資料1(PDF)
令和元年度から令和7年度までに、東京圏の混雑率は163%から143%へ20ポイント下がった。同じ資料1の輸送人員(千人)は1,626から1,345へ、輸送力(千人)は995から944へ動いている。編集部が計算すると、輸送人員は約17.3%減ったのに対し、輸送力は約5.1%しか減っていない。下がったのは電車が大幅に増えたからではなく、乗る人が減ったからだ。
107%の年があったんか。ならばあの年は、押し屋も用なしじゃったはずじゃな。……逆に言えば、143%まで戻った今、押す人が戻ってきとってもおかしゅうないのではないか?
その可能性はありますが、107%の年に押す仕事がどうなっていたのか、探した範囲では記録を確認できませんでした。次の章の文春の記事が、空白を少しだけ埋めてくれます。
押し屋は1955年に生まれ、2025年にも募集されている
押す仕事の始まりは古い。乗りものニュース(2020年10月24日)によれば、1955年10月24日に国鉄新宿駅で押し屋が初めて登場した。当時の名称は「旅客整理係学生班」で、背景には、発車時にドアが閉まらず遅延が常態化していたことがあったという。
出典:乗りものニュース(2020年10月24日)、国土交通省 令和7年度 資料1、文春オンライン(2025年9月8日)
文春オンラインによれば、JR東日本は「駅係員アルバイト」(正式名称は「テンポラリースタッフ」、通称TS)を駅ごとに募集している。募集文には「通勤・通学時間帯にお客さまにスムーズに乗り降りいただくためのご案内や誘導を行っていただきます」とあり、勤務は平日の朝7時から10時ごろが中心だという。同誌が取材した匿名の学生は、乗り切れなそうな場合には押しが必要になると話している。
乗り切れそうもない乗客を中に押し込み、なんとかドアを閉める
同じ記事は、押し屋の誕生を1955年の国鉄時代とし、満員電車が姿を消したコロナ禍を経てもなお存在し続けると書いている。国の数字では混雑率が107%まで落ちた年があり、それでも押す仕事は途切れなかった、という読み方になる。
もっとも、押す光景の有無は時期や場所で違ってもおかしくない。元鉄道員の個人の投稿(2021年5月)には、混雑が緩んで「ケツ押し」は見られなくなったという趣旨の記述がある。一人の経験にすぎないが、「ある」と「ない」が同じ時期に別の駅で両立しうることの手がかりにはなる。
平均163%の外側で、何が起きているのか
東京圏31区間のうち、混雑率がいちばん高いのは日比谷線の三ノ輪→入谷で163%。次いで東西線の木場→門前仲町と総武快速線の新小岩→錦糸町が160%、東海道線の川崎→品川が159%と続く(令和7年度、資料2)。編集部が31区間を数えると、150%以上は14区間、130%台から140%台が10区間、130%未満が7区間で、180%以上の区間は1つもない。
7区間
10区間
14区間
出典:国土交通省「令和7年度の三大都市圏の鉄道混雑率」資料2(PDF)
範囲を全国に広げた資料3でも、180%には届かない。編集部が資料3の235区間を数えた範囲では、最高は日暮里・舎人ライナーの赤土小学校前→西日暮里で176%。JR東日本では埼京線の板橋→池袋が167%だった。目安の表でいえば、「体の向きを変えるのが困難」な180%に平均が達した区間は、どこにもない。
それでも押す仕事は残っている。ここからは統計ではなく、編集部の見立てになる。1時間の平均は、いちばん詰まった数分とドア前の偏りを均してしまうので、国の数字が180%未満でも、特定の電車の特定のドア前が目安の上のほうに達していることは十分ありうる。ただし、それを数えた統計は見つかっていない。
どれも180%に届いておらんのに、押しとるんか。ならば国の物差しのほうが間違っとるのではないか?
間違いというより、測っている長さが違うんだと思います。国の数字は区間の1時間分の割り算で、押す人が見ているのは電車1本ごとのドアの前です。目安の文面がドア付近に触れているのも、そのずれを埋めようとしているように読めますが、「それが何分続くか」はどこにも書かれていないんです。
「今もある」は言える。「どれくらいある」は誰も数えていない
ここまでで言えることと言えないことを分けておく。
押し屋が逐語や回数の記録を残す種類の仕事ではない以上、「まだある」の中身を数で示せないのは、探し足りないからだけではなさそうだ。だからこの記事は、「今もある」を報道の範囲で書き、頻度については「分からない」と書くところで止める。
国は混雑率を毎年数えるのに、押す回数は数えんのじゃな。
混雑率は国が毎年そろえて出しますが、押す作業の回数を同じ形で出している資料は、私が探した範囲では見つかりませんでした。「ある」は言えても、「増えた」「減った」は言えないんです。
要するに、わしが「空いとる」と思うた数字は、いちばん詰まった一瞬を見ておらんかったんじゃな。……近所の祭りで、人出は例年並みと聞いて出かけたら、鳥居の前だけ一歩も進めんかったことがあるぞ。
「まだある」と「減った」を同じ見出しに入れなかった理由
「令和にも押し屋は健在」と書けば読まれやすい。「混雑率は半世紀で3分の2に」と書いても同じだ。どちらも本当だが、片方だけを大きく出せばもう片方は消える。この記事は、2つの物差しの長さが違うことと、頻度が分からないという空白をそのまま見出しに残した。
ソース
混雑率の定義・推移・区間別の数値は国土交通省の令和7年度・令和4年度の公表資料、押し屋の歴史と現状は乗りものニュースと文春オンライン、元鉄道員の個人の投稿を確認しています。個人の投稿は一人の証言として扱い、頻度の根拠にはしていません。
- 令和7年度の三大都市圏の鉄道混雑率について — 国土交通省(2026年7月28日公表・東京圏143%・大阪圏117%・名古屋圏126%)
- 令和7年度 報道発表資料(PDF) — 国土交通省(混雑率の定義と注記)
- 令和7年度 資料1(PDF) — 国土交通省(混雑率の推移・目安)
- 令和7年度 資料2(PDF) — 国土交通省(東京圏31区間の区間別混雑率)
- 令和7年度 資料3(PDF) — 国土交通省(路線別の最混雑区間)
- 令和4年度 資料1(PDF) — 国土交通省(旧版の混雑率の目安)
- 【今日は何の日?】「押し屋」新宿駅に初登場 — 乗りものニュース(2020年10月24日・1955年の新宿駅での登場)
- 《通勤ラッシュを支える裏方》令和の時代も残る珍バイト「押し屋」の経験者(20代)が明かす“意外な仕事内容”と“命の危険を感じた瞬間” — 文春オンライン(2025年9月8日・JR東日本の駅係員アルバイトの業務)
- ラッシュ時の名物「ケツ押し」について説明しよう — 元鉄道員・めりのさんのnote(2021年5月11日・「ケツ押し」の見られなくなった経緯。一人の証言)
参考文献・検証ログ
Score Breakdown
参照は 9 本あります。監査はまだ保留で、公開前の確認が残っています。
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