ふしぎ観測

鏡に向かって3回呼ぶと出てくる方じゃなくて、実在した女王の「ブラッディ・メアリー」。あの呼び名、最初に刷ったのは誰なんですか?

2026年10月5日 By NTM Editorial
#ブラッディメアリー#メアリー1世#ジョン・フォックス#記録の空白#史料批判
aiko
aiko

「ブラッディ・メアリー」って聞いて、わしが最初に浮かべたんは鏡じゃったんじゃ。暗い風呂場で鏡に向かって名前を3回呼ぶと出てくるっていう、あれ。でも今回調べる「ブラッディ・メアリー」、実在した女王の話なんじゃろ? 鏡の幽霊と何の関係があるんじゃ。

sa-tan
sa-tan

そこ、実は関係があるという説とないという説の両方があって、しかも決着していないんです。今回は鏡の話ではなく、確かめられる方——実在の女王が、なぜ・誰の手で「血まみれ」と呼ばれるようになったかを追いかけます。

イングランド女王メアリー1世は1553年7月に即位し、1558年11月17日に42歳で死去した(死因は子宮がん・卵巣嚢腫・インフルエンザのいずれかとされ確定していない)。在位5年の間にカトリックを復活させ、1555年1月に異端法を復活させて、約280人のプロテスタントを火刑にした。この史実自体は動かない。動くのは、その5年間を指して「ブラッディ・メアリー」と呼ぶ習慣が、いつ・誰の手で始まったかの方である。


鏡の中の彼女と、歴史の中の彼女は別人かもしれない

先に、鏡の話を片づけておく。深夜の暗い部屋で鏡に向かって「ブラッディ・メアリー」と3回唱えると何かが現れる、というこの遊びは現在も北米を中心に広く知られているが、現在の形に固まったのは1960年代後半とされる。しかも「メアリーとは誰か」の答えは一つに定まっていない。

候補中身
メアリー1世(史実の女王)プロテスタントを火刑にした16世紀の実在の君主。候補の一つに挙げられるが、確定した根拠はない
メアリー・ワース奴隷の逃亡を密告した女性、あるいは魔女裁判で焼かれた女性など、複数の説が並立
特定不能の伝承上の人物民俗学者アラン・ダンデスは、鏡の儀式そのものを初潮を迎える少女の通過儀礼と読む説を提示している(本記事は同書を未読のため、そうした研究があることの紹介にとどめる)

鏡の儀式の起源自体が民俗学の中で確定していない。だから本記事はこの鏡の話を主題にしない。ここから先は、確かめようのある方——歴史上の女王に「ブラッディ・メアリー」という呼び名が付いた経緯——だけを追う。

aiko
aiko

なんじゃ、鏡の方は迷宮入りか。……まあええ、そっちは諦める。じゃあ女王の方はどうなんじゃ。本人が生きとる間に「血まみれ」って呼ばれとったんか?

sa-tan
sa-tan

いいえ。それが今回の出発点なんです。呼び名が付いたとき、呼ばれる本人はもう5年前に死んでいました。

記録を刷る側は、彼女の死後5年で入れ替わっていた

メアリーが火刑を執行していた当時、それを大々的に書いて配る側は存在しなかった。その役割を担う本が世に出るのは、メアリーが死んで5年後である。

1553年7月 ── メアリー1世 即位。カトリック復帰を進める
1553年 ── プロテスタントのジョン・フォックス、逮捕直前に妊娠中の妻を連れてイングランドを脱出。ストラスブール・フランクフルト・バーゼルを転々とする亡命生活に入る
1555年1月〜1558年 ── 異端法のもと、約280人が火刑に処される(メアリーの治世)
1558年11月17日 ── メアリー死去。プロテスタントのエリザベス1世が即位
1563年3月20日 ── フォックス『行伝と記念碑』(Actes and Monuments)初版、ロンドンで印刷業者ジョン・デイより刊行。全約1,800ページ
1571年 ── カンタベリー主教会議上院が、この本を各大聖堂に備え置くよう命じる

火刑を執行する側と、その記録を大量に刷って配る側は、同一政権ではなかった。 記録装置(この場合は印刷・出版・教会という配布網)を握っていたのは、メアリーの死後にイングランドの国教を握り返した側である。

aiko
aiko

待って、フォックスって亡命しとったんじゃろ。それって「負けて逃げた側」じゃない? 勝った側の記録って言えるんか?

sa-tan
sa-tan

いい質問です。書いた時点では負けた側でした。出た時点では勝った側になっていたんです。フォックスが亡命先で書き進めていた間にメアリーが死んで、フォックスの陣営(プロテスタント)が国教を取り戻しました。本が出た1563年には、フォックスはもう亡命者ではなく、勝者の側の証言者として本を出せる立場にいたんですよね。

実際に何と書かれていたか

フォックスの本文は、メアリーの治世をどう呼んでいるか。1610年版の記述を紹介する学術サイトの引用によれば、本文中にこうある。

『行伝と記念碑』本文(引用経由)
“the horrible and bloudy time of Queene Mary”
「女王メアリーの、あの恐ろしく血まみれの時代」

同書はほかにも、メアリーを「unprosperous(不首尾に終わる)」女王と呼び、幾度も「迫害者」と書いている。さらに、メアリーが想像妊娠を経験した出来事を、国民への裏切りのように描く一章も置かれている——架空の跡継ぎを約束して、結局産まれなかった、という筋立てである。

フォックスが実際に書いたのは「bloudy」という形容詞であって、「Bloody Mary」という固有の呼び名そのものではない。この違いは後段でもう一度効いてくる。

なぜこの1冊が「定着」したのか

この本が読者の記憶に刻まれた理由は、内容の激しさだけではない。配られた回数と、置かれ続けた場所が効いている。

4版
フォックス存命中に1563・1570・1576・1583年と版を重ねた
1,800→2,300頁
1563年版から1570年版でページ数が3割以上増えた
30/57
1563年版の挿絵57点のうち、メアリー治世下の処刑場面が30点
全大聖堂
1571年、カンタベリー主教会議が「主教聖書」と並べて備え置くよう命令

字が読めない者にも処刑の様子が伝わる木版画を、成長し続ける本の3割以上に割き、教会という当時もっとも多くの人間が定期的に足を運ぶ場所に、聖書と並べて置かせた。 これは一人の著者の筆力ではなく、制度が担った拡散である。

aiko
aiko

教会に聖書と並べて置けって命令、それもう国の仕事じゃろ。フォックス一人が恨みで書いた本が広まったんとは話が違うくないか?

sa-tan
sa-tan

はい、そこが大事なところです。恨みつらみの私家版として消えてもおかしくなかった本が、国教会の意思として全国の大聖堂に配置されたんです。個人の主張と、制度として配られた記録は、広まる速度がまったく違います。

「悪女」はメアリーだけの現象か

火刑と処刑の数だけで見ると、メアリーの数字は突出していない。同じテューダー朝の他の君主と並べると、この点がはっきりする。

君主異端・信仰を理由にした処刑その他の処刑・弾圧定着した呼び名
ヘンリー8世
在位38年
異端で81人を火刑総死者数は研究により5.7万〜7.2万人という推計もある特になし
メアリー1世
在位5年
約280人を火刑—ブラッディ・メアリー
エリザベス1世
在位45年
再洗礼派5人を火刑反逆罪でカトリック約183人を処刑、反乱鎮圧でカトリック約800人特になし

『スミソニアン・マガジン』の記事は、この非対称そのものを問いに変えている——「呼び名の理由が数字だけなら、なぜ『血まみれのヘンリー』『血まみれのベス』にならないのか」。歴史家ポーター(Linda Porter)は女性であること・イングランドの自己像が反カトリックで構築されたことを、この非対称の背景として挙げている。

数字だけを見れば、突出しているのはメアリーではない。突出しているのは、彼女についてだけ、大量に刷られ、教会に置かれ続けた本があったことの方である。

「ブラッディ・メアリー」という言葉そのものは、いつ出来たのか

ここまで読むと、「フォックスが名付け親」で話が閉じそうになる。だが、これは正確ではない。

フォックスが書いたのは「bloudy time(血まみれの時代)」という治世を形容する言葉であって、「Bloody Mary」という固有名詞化した呼び名ではなかった。歴史家ポーターはこう述べている。

Linda Porter(『ザ・ヴィンテージ・ニューズ』の引用より)
“The epithet, not in common use until the seventeenth century, has stuck like mud (or something worse) to the reputation of our first Queen-regnant.”
「この呼び名は17世紀になるまで一般には使われていなかった。それが泥(あるいはもっと悪いもの)のように、この国初の女王在位者の評判にこびりついている」

フォックスが実際に書いたことフォックスが書いていないこと
✅ 治世を「horrible and bloudy」と形容❌「Bloody Mary」という固有名詞での呼称
✅ 処刑の詳細と木版画による視覚的記録❌ 呼び名としての定着(それは17世紀に起きた)
✅ 「unprosperous」「迫害者」という評価語❌ 鏡の儀式や都市伝説との関連づけ(そちらは別系統)

つまり構図はこうなる。フォックスは土台となる素材(形容詞・木版画・制度的な配置)を用意した。呼び名そのものが固有名詞として固まるのは、そこからさらに1世紀近くあとだった。 材料を提供した側と、それを一語に圧縮して定着させた側は、必ずしも同一ではない。

aiko
aiko

ん? じゃあ結局、誰が「ブラッディ・メアリー」って言葉そのものを最初に言うたんじゃ。フォックスじゃないなら。

sa-tan
sa-tan

そこは、今回集めた資料では特定できませんでした。ここは正直に「わからない」と書きます。 分かっているのは「17世紀になるまで一般的ではなかった」という時期だけで、最初の一人を名指しする記録には行き当たりませんでした。ただ、その言葉が定着する土壌——教会に置かれ続けた本、繰り返し刷られた挿絵——は、フォックスの側が作ったものだった、というところまでは言えます。

本稿仮説:呼び名を固めたのは、思想の強さではなく流通の量だった

ここから先は本記事の提案である。既存の説明(宗教的な確信が強かったから/女性であることへの偏見があったから)を否定するものではなく、その両方を成り立たせる条件として、もう一つの層を置く。

個人の筆力・確信説
フォックスの筆致が激しく説得力があったから広まった、という説明。動機としてはもっともらしいが、同じ熱量の批判者は他にもいた(ジョン・ノックス等)のに、なぜフォックスの本だけが残ったかを説明しない
流通量・制度化説(本稿仮説)
内容の強さに加えて、4版にわたる増補・全大聖堂への配置命令という、個人の主張を超えた制度的な後押しがあったから、他の批判者の言葉より長く生き残った

反証条件。 もし17世紀以前の口頭記録・庶民の書簡・戯曲などに、フォックスの本の流通と無関係に「Bloody Mary」という呼称が独立して確認されれば、この仮説(流通量が定着を決めた)は弱まる。今回の調査では、そうした独立記録は確認できなかった。

Zash
Zash

数字だけ見りゃヘンリーの方がよっぽど血まみれだ、って話はよくわかった。でも俺たちも含めて、これからも「ブラッディ・メアリー」の方を呼ぶし、カクテルにもその名前を頼む。正しい数字を知ったところで、呼び名の方が先に口から出るんだよな。座りのいい言葉は、事実より先に定着する。

その空白のまま、いま彼女の呼び名だけが残っている

結局、この記事も一つの名前——「誰が最初に Bloody Mary と言ったか」——を特定できなかった。分かったのは、その呼び名が定着するための土台を、誰がどれだけの物量で用意したかである。

火刑を命じた本人はもう発言できない。反論も釈明もできない立場のまま、5年後に勝った側が刷った本が、教会という制度に乗って配られ続けた。呼び名の中身(bloudyという形容詞)は本人の死後に生まれ、固有名詞としての定着(Bloody Mary)はさらにその1世紀後——発言できない期間がどんどん延びていく間に、呼び名だけが固まっていった、という順番になる。

関連: 『天幕のジャードゥーガル』を「モンゴル版・大奥」だと思って見ると、史実の方が無茶苦茶だった ── 敗れた側の記録が残らない構造を、同じシリーズの別のケースで扱っている

aiko aikoが飲み込んだところ

これからは評判を疑うとき、「誰が言うたか」より「何回・どこで見たか」を先に数えることにするわ。……前に学校で変なあだ名がついて、否定しても否定しても消えんかったことがあったんじゃけど、あれ多分、一番しつこく・一番目立つ場所で言うとった奴が勝っただけなんじゃろな。

NTM ニュース整理

最後まで読んでくださった方へ

この記事は「Bloody Mary」という言葉を最初に発した人物を特定できませんでした。分かったのは、その言葉が定着する土台——4版にわたって増補された本と、それを全大聖堂に置かせた制度——を誰が用意したか、というところまでです。

私たち自身も、この記事の見出しに「ブラッディ・メアリー」という、数字だけ見れば不釣り合いに重いかもしれない呼び名を使っています。検索で読者に届くにはこの呼び名を使うのが一番早い、という判断がその裏にあります。評判の定着の仕組みを書きながら、自分たちもその同じ仕組みの中で見出しを選んでいる、という点は書き添えておきます。

出典

  • 【史実】 Mary I — Wikipedia. 在位期間、フィリップ2世との婚姻、異端法の復活、処刑者数(280人超)
  • 【1563年】 ジョン・フォックス『行伝と記念碑』1583年版(フォックス存命中最後の版) — Internet Archive スキャン
  • 【研究・解説】 John Foxe — Wikipedia. フォックスの亡命経緯、初版刊行日(1563年3月20日)、歴史家トーマス・フリーマンによる評価(「弁護士のように、依頼人に不利な事実は伏せるが、事実そのものは捏造しない」)
  • 【研究・解説】 Foxe’s Book of Martyrs — Wikipedia. 版を重ねた経緯(1563/1570/1576/1583)、1571年カンタベリー主教会議による全大聖堂備え置き命令
  • 【解説】 The Myth of ‘Bloody Mary’ — Smithsonian Magazine. テューダー朝各君主の処刑者数比較、歴史家ポーター・ウーディングらの見解
  • 【解説】 What Inspired Queen ‘Bloody’ Mary’s Gruesome Nickname? — HISTORY. 1563年版の挿絵57点中30点が処刑場面である旨
  • 【解説】 266 Mary – Bloody or Otherwise — The History of England. フォックス本文の引用(“the horrible and bloudy time of Queene Mary”)
  • 【解説】 ‘Bloody Mary’ - Why that Horrid Nickname was Unfairly Given to Mary I of England — The Vintage News. 歴史家リンダ・ポーターの引用(呼び名が17世紀まで一般的でなかったこと)
  • 【解説】 10 Facts About ‘Bloody’ Queen Mary I of England — History Hit. 呼び名が死後に付いたものであることの補強
  • 【解説・原文引用】 Queen Mary’s “Bloody” Image — University of Victoria Libraries(ENGL500 展示). フォックス本文中の「unprosperous」評、想像妊娠を描いた章についての分析
  • 【民俗学】 Bloody Mary (folklore) — Wikipedia. 鏡の儀式が現在の形に固まった時期(1960年代後半)、由来をめぐる複数候補の並立

本記事のURL付き出典は11件とも無料で全文を読める。 Wikipedia各記事、Smithsonian・HISTORY・History Hitなどの一般メディア、ヴィクトリア大学図書館の展示ページ、Internet Archiveの原典スキャンで、有料データベースを経由しない。

この記事で確かめられていないこと

「Bloody Mary」という固有名詞を最初に使った人物・文献は特定できていない。 分かっているのは「17世紀になるまで一般的ではなかった」という時期の目安のみで、最初の使用例そのものは今回集めた資料の範囲では突き止められなかった。
フォックス本文の引用は孫引きである。 「horrible and bloudy time」「unprosperous」の引用は、原典(1563年初版・1610年版)を直接読んだのではなく、それらを引用・分析している解説サイト経由で確認した。原典の当該ページを本記事は直接閲覧していない。
1563年版の挿絵57点中30点が処刑場面という数字は、単一の解説記事(HISTORY)による。 別の資料で同じ数字を裏取りできていない。
鏡の儀式とメアリー1世の関連は「不明」がそのまま結論である。 関連を主張する説も否定する説も、本記事が参照した範囲では決定的な根拠を示していない。
ヘンリー8世の総死者数(5.7万〜7.2万人)は研究者による推計であり、確定値ではない。 異端による火刑81人という数字とは性質が異なる(前者は処刑・弾圧全般の推計、後者は異端罪に限った実数)。
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参考文献・検証ログ 11件
  1. Mary I(Wikipedia)
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  2. John Foxe(Wikipedia)
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  3. Foxe's Book of Martyrs(Wikipedia)
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  4. The Myth of 'Bloody Mary'(Smithsonian Magazine)
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  5. What Inspired Queen 'Bloody' Mary's Gruesome Nickname?(HISTORY)
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  6. 266 Mary – Bloody or Otherwise(The History of England)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  7. 'Bloody Mary' - Why that Horrid Nickname was Unfairly Given(The Vintage News)
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  8. 10 Facts About 'Bloody' Queen Mary I of England(History Hit)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  9. Queen Mary's 'Bloody' Image(University of Victoria Libraries, ENGL500 展示)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  10. Actes and Monuments by John Foxe, 1583(Internet Archive・原典スキャン)
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  11. Bloody Mary (folklore)(Wikipedia)
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