生活防衛

税率は上がってないって、本当に増税されてないんですか?

2026年8月5日 By NTM Editorial
aiko
aiko

消費税の話は分かったのじゃ。上げるたびに国会でモメとったんじゃもんな。でもニュースで「税率は上がってません」って言われると、なんか安心していいのか分からんくなる時があるんじゃけど。

sa-tan
sa-tan

その「安心していいのか分からない」という直感、実は正しいわ。今回のテーマはまさにそこ。税率という数字がまったく動いていなくても、負担が実質的に増える仕組みが存在する。専門用語で「ブラケット・クリープ」、あるいは「フィスカル・ドラッグ」と呼ばれる現象よ。

NTM ニュース整理

この記事について(シリーズ「日本は、動き始めたのか。」第4回)

本稿は「手取りの構造史」Season1の第4回。第1回では基礎控除(103万円)が29年動かなかった経緯を、第3回では消費税という「税率が明示的に変わる税」を見てきた。本稿はその中間にある現象——税率も控除額も名目上は変わらないのに、物価と賃金の上昇だけで実質負担が増える「ブラケット・クリープ」を扱う。国税庁の所得税速算表とOECDの調査資料をもとに、「限界税率」の誤解を解き、日本・米国・ドイツ・英国の制度を同じ物差しで比較する。海外に自動調整の仕組みがあることを、特定の税制改正案の是非を判定する材料としては用いない。

NTM SERIES: 日本は、動き始めたのか。 Season1 #4

ブラケット・クリープ — 税率を上げずに増える「隠れた増税」

日本の所得税の税率区分(5%〜45%の7段階)は、2015年(平成27年)分以後、金額そのものが一度も改定されていない。OECDの調査では、日本の所得税・社会保険料・現金給付の物価調整方式はいずれも「裁量的(Discretionary)」に分類されており、これは自動指標を持つ米国とは異なる型に属する。

現行の税率区分 7段階(5%〜45%)
区分の金額が最後に変わった年 2015年(平成27年分)
OECD分類(日本) 裁量的=自動指標なし
OECD分類(米国) CPI(消費者物価指数)連動・自動

ブラケット・クリープとは

控除・税率境界が物価や名目所得の上昇に追いつかず、実質負担が上がる現象。税率という「目に見える数字」を一切動かさずに起きるため、国会審議も首相会見も経ない。

日本の現在地

所得税の7区分は2015年に最高税率45%が新設されて以来、金額・税率とも改定されていない。2026年時点で11年間、区分そのものは据え置かれている。

海外は一様ではない

米国は法律でCPI連動の自動調整。ドイツはOECD分類上は裁量的だが、2014年以降ほぼ毎年、物価上昇分を相殺する法改正を重ねてきた。英国は裁量的な仕組みのまま、あえて2021年から凍結を選んでいる。

本稿の視点

「海外でやっているから日本も」という単純な正当化はしない。自動・裁量的更新・裁量的凍結という3つの型のうち、日本がどれに近いかを事実で確認する。
NT Media 結論
税率という数字だけを見ていると、この現象は制度のどこにも姿を現さない。まずは「ブラケット・クリープ」が何を指すのか、定義から確認する。

「ブラケット・クリープ」って、結局何が起きているのか

OECDは2023年版「Taxing Wages」の中で、ブラケット・クリープ(bracket creep)を「物価上昇や実質所得の増加によって納税者がより高い所得税率区分に押し上げられ、実質所得が増えていないのに所得税負担が増える現象」と説明している。OECDはこれを「fiscal drag(財政的な足かせ)」というより広い現象の一種として位置づけており、税率や控除額の絶対値が物価上昇に自動的に調整されない場合に生じる「名目的なfiscal drag」がその典型例だとしている。

OECD「Taxing Wages 2023」の定義(抜粋・仮訳)

「この仕組みはブラケット・クリープ、あるいは冷たい累進(cold progression)と呼ばれる。この現象は(雇用者数や労働時間が一定であれば)政府にとって自動的に名目税収の増加をもたらすが、それは透明性を欠いた形で起きる。」

出典:OECD “Taxing Wages 2023 — Indexation of Labour Taxation and Benefits in OECD Countries”

つまり、増税という言葉が使われないまま、政府の税収だけが自動的に増えていく仕組みだ。国民が「損をしている」と気づきにくいのは、値上げのように一目で分かる数字の変化がないからだ、とOECDは指摘している。

Zash
Zash

消費税は上げるたびに首相が会見を開く。ブラケット・クリープは誰も会見を開かない。負担が増える経路が「目立つか、目立たないか」——その一点で政治的な扱われ方がまるで違う。

日本の所得税、7段階の「今」の姿

国税庁の速算表によれば、日本の所得税は課税所得金額に応じて5%から45%まで7段階に区分されている。この区分は2015年(平成27年)分以後、一度も変わっていない。
課税される所得金額税率控除額
1,000円〜194.9万円5%0円
195万円〜329.9万円10%97,500円
330万円〜694.9万円20%427,500円
695万円〜899.9万円23%636,000円
900万円〜1,799.9万円33%1,536,000円
1,800万円〜3,999.9万円40%2,796,000円
4,000万円以上45%4,796,000円

財務省の説明によれば、所得税の最高税率はかつて70%という高い水準だったが、1989年の消費税導入以降、負担感を軽くする目的で段階的に引き下げられてきた。その流れが変わったのが2015年(平成27年)分で、所得税の持つ再分配機能(社会の中で富を移す機能)を回復させる狙いから、4,000万円を超える部分の税率が45%に引き上げられた。これが現行7段階の区分の基礎になっている。

関連: 消費税って、いつから家計の当たり前になったんですか?

aiko
aiko

2015年からってことは、もう11年も同じ表ってことじゃろ? 消費税は4回変わったのに、こっちは一回も変わってないんか。

sa-tan
sa-tan

そう。しかもこの表の「金額」——195万円とか900万円とかの区切り自体が動いていないという点が今回のポイント。物価や給料が上がれば、これまで20%だった人が23%の区分に入っていく。表は同じでも、実際にその区分に属する人の数は増えていく。

限界税率の誤解 — 「区分をまたいだら」全部の税率が上がるわけではない

ここで訂正しておきたい誤解がある。課税所得が695万円を超えて23%の区分に入っても、所得全体に23%がかかるわけではない。速算表の「控除額」は、まさにこの誤解を防ぐための調整額だ。

課税所得 690万円(20%区分)
690万円×20%−42.75万円
95.25万円
課税所得 700万円(23%区分)
700万円×23%−63.6万円
97.4万円

課税所得が690万円から700万円に10万円増えると、税率区分は20%から23%へ変わる。しかし国税庁の速算表の計算式(所得金額×税率−控除額)で実際に計算すると、税額は95.25万円から97.4万円へ、差は2.15万円にとどまる。増えた10万円のうち約21.5%が追加の税負担に回った計算だが、これは「23%が所得全体にかかった」結果ではなく、控除額の差(63.6万円−42.75万円=20.85万円)が23%区分の負担を690万円時点と揃うように調整しているためだ。区分をまたいだ瞬間に手取りが逆転する、という現象は起きない。

※本セクションの試算例は国税庁の速算表(前掲)に基づく計算式の適用結果を訂正したもの。訂正の経緯は本文冒頭のsupplemental.correctionsを参照。

限界税率=追加で稼いだ1円に対して適用される税率のこと。実効税率=収入全体に対する税負担の割合のこと。この2つは同じ数字ではない。財務省の試算では、夫婦子2人(片働き)の給与所得者で給与収入1,000万円の場合、個人住民税を含めた実効税率は約10%とされている。最高税率が45%と聞いて「収入の半分近く持っていかれる」と誤解しやすいが、それは限界税率と実効税率を混同した見方だ。

aiko
aiko

なんじゃ、てっきり区分をまたいだら損する仕組みなんかと思っとったのじゃ。でもそれなら、なんで「損した気がする」って感覚は消えんのじゃろ?

sa-tan
sa-tan

損した「気がする」のは、区分をまたぐ計算の話ではなく、区分の金額そのものが物価や賃金に合わせて動かないという、次の話のせいよ。ここからが本題。

海外は区分をどう動かしているか — 自動・裁量的更新・裁量的凍結の3つの型

OECDが2022年に加盟国へ行った調査(Taxing Wages 2023所収)では、日本の所得税・社会保険料・現金給付の物価調整方式はいずれも「裁量的(Discretionary)」に分類されている。これは自動的な指標を持たず、その都度の法改正によってのみ調整される方式を指す。ただし「裁量的」という同じ分類でも、実際の運用は国によって大きく異なる。

🇺🇸 米国 — 自動
OECD分類:CPI連動

法律に基づき、内国歳入庁(IRS)が毎年、物価上昇率に応じて税率区分・控除額を自動改定する。2026年分では夫婦合算申告の標準控除額が31,500ドルから32,200ドルへ引き上げられた。

🇩🇪 ドイツ — 裁量的だが定例化
OECD分類:裁量的

自動指標はないが、連邦財務省が2年ごとに「税制累進報告書」を提出し、2014年以降ほぼ毎年、基礎控除等を引き上げる法改正で「冷たい累進(kalte Progression)」を相殺してきた。

🇬🇧 英国 — 裁量的で凍結
OECD分類:裁量的

基礎控除(Personal Allowance、12,570ポンド)と高税率の適用開始額(50,270ポンド)を2021年4月から凍結。2025年秋の予算でこの凍結は2031年まで延長された。

🇯🇵 日本 — 裁量的で据え置き
OECD分類:裁量的

自動指標はなく、ドイツのような定期報告・定例改定の制度化もされていない。直近の区分改定は2015年で、以後は物価連動を目的とした見直しの仕組みが確立していない。

なお財務省が公表する主要国の所得税率比較資料によれば、ドイツは日・米・英・仏のような離散的な税率区分ではなく、税率を連続的な計算式で決める方式を採っている点でも制度設計が異なる。「裁量的」という同じOECD分類の中にも、ドイツのように定例的に手当てする国と、英国のようにあえて凍結を選ぶ国が両方存在する。日本の現状は、自動調整を持つ米国型よりも、当面の据え置きを続ける英国の型に近い。

Zash
Zash

英国の凍結は「隠れ増税」だと国内でもはっきり批判されている。ICAEWの分析によれば、この凍結だけで今後さらに数百万人が高い税率区分に押し上げられる見通しだ。凍結という手段自体は日本と同じ型でも、英国はその負担額を公的機関が試算して公表している。日本にその種の定期試算があるかどうかは、また別の話だ。

日本はどちらでもない — 2015年で止まった時計

日本の所得税の最高税率は、1989年の消費税導入前後を境に引き下げが続いた後、2015年(平成27年)分から45%に引き上げられ、以後2026年現在まで11年間、区分の金額・税率とも変わっていない。
1989年 消費税導入 前後
最高税率 70% から段階的に引き下げ
財務省の説明では、消費税導入以降、負担感の軽減を目的に最高税率の引き下げが重ねられた。
2015年(平成27年)分
最高税率 45%へ引き上げ、現行7段階が確立
所得税の再分配機能の回復を目的に、4,000万円超の部分の税率が45%に引き上げられた。
2026年(現在)
区分の金額・税率とも11年間据え置き
この間の物価・賃金上昇が、区分をまたぐ形で実質負担にどう反映されているかは、公的機関による定期的な試算・公表がない。
NTM ニュース整理

the NTM の立場について(§4-0)

「日本は増税していない」と「日本は海外に比べて遅れている」は、どちらも単純化しすぎた見方だ。NT Mediaはアクセス数が収益に直結する媒体であり、「政府はこっそり増税している」という単純な告発の方が読まれやすい引力の中にいる。本稿ではその引力に乗らず、まず「区分の金額が最後にいつ動いたか」という事実と、「海外の裁量的調整にも定例化と凍結という異なる型がある」という事実を並べることを優先した。日本の据え置きが政策判断の結果なのか、制度化されていないだけなのかを判定する材料は本稿の範囲では確認できておらず、その評価は次回(第5回)以降の課題として残す。

aiko
aiko

でも「裁量的」だからこそ、逆に引っかかるんじゃけど。ドイツは2年ごとに報告書出して法改正までしとるし、英国は「凍結します」って予算で堂々と発表しとる。日本だけ、決めたとも決めてないとも言わんまま11年経っとる、ってことじゃろ?

sa-tan
sa-tan

そこが今回の核心よ。ドイツも英国も分類上は同じ「裁量的」だけど、どちらも判断した跡が残る——ドイツは相殺する法改正、英国は凍結という決定そのものを公表している。日本にはその跡が見当たらない。据え置きが政策判断の結果なのか、単に見直す手続きが制度化されていないだけなのかは、本稿の材料だけでは判定できない。ここは次回以降の宿題ね。

次回予告:178万円で壁は消えたのか

シリーズ「日本は、動き始めたのか。」Season1 手取りの構造史
第1回・第2回:103万円の壁/106万円・130万円の壁
所得税レーンと社会保険レーン。それぞれ長期間動かなかった、または上がり続けた。
第3回:消費税、3%から10%へ
消費税レーン。税率変更という「見える増税」の経緯を追った。
第4回:税率を上げない増税はどう起きるか(本稿)
ブラケット・クリープ、限界税率の誤解、海外の物価連動制度との比較を扱った。
第5回:178万円で壁は消えたのか
3つのレーンを再統合し、国民民主党の功績と宿題を採点する最終回。
Zash Zashの今日の一言まとめ

日本の所得税は5%〜45%の7段階に区分され、この区分は2015年(平成27年)分以後、金額・税率とも一度も改定されていない。OECDの調査では、日本の物価調整方式は所得税・社会保険料・現金給付のいずれも「裁量的」に分類され、これは米国のような自動CPI連動とは異なる型に属する。ただし「裁量的」の中身は一様ではなく、ドイツは2014年以降ほぼ毎年、控除額の引き上げで物価上昇分を相殺してきたのに対し、英国は2021年から意図的に基礎控除を凍結し、2031年まで延長している。日本はこのどちらの型にも当てはまらず、11年間ノーチェックのまま据え置かれてきた。区分をまたいでも手取りが逆転することはないが、区分の金額そのものが動かない限り、物価と賃金が上がるだけで実質負担は静かに増えていく。次回はこの構造を踏まえ、2025〜2026年の178万円改正が実際に何を変えたのかを採点する。


主な参照資料:

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  1. 国税庁「No.2260 所得税の税率」
    一次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  2. 財務省「所得税の負担はどう変化しているのですか?」
    一次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  3. 財務省「主要国における所得税率の推移の比較」
    一次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  4. OECD「Taxing Wages 2023 — Indexation of Labour Taxation and Benefits in OECD Countries」
    一次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  5. IRS「IRS releases tax inflation adjustments for tax year 2026」
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  7. GOV.UK「Income Tax rates and Personal Allowances」
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  8. ICAEW「Budget: Freeze on personal allowance extended」
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  • 2026-08-02: 初稿作成(自動起稿レーン・装填在庫、シリーズ「日本は、動き始めたのか。」Season1 第4回)

訂正履歴

  • 2026-08-03: 「限界税率の誤解」セクションの試算例に計算ミスがあったため訂正。690万円×20%−42.75万円は93.25万円ではなく95.25万円が正しく、690万円→700万円の税額差は4.15万円ではなく2.15万円(追加負担割合は約41.5%ではなく約21.5%)。国税庁「No.2260 所得税の税率」の速算表(既掲載の一次資料)に基づき再計算した。

参考資料