ふしぎ観測

雨の匂いの主要成分は、土の中の細菌が出している物質だった。「気圧のせい」は裏が取れなかった

2026年10月11日 By NTM Editorial
#雨の匂い#ペトリコール#ゲオスミン#放線菌#土壌微生物
aiko
aiko

のう、雨が降る前から「あ、土の匂いがする」ってなることがあるじゃろ。あれは気圧が下がると土から匂いが出るからだと聞いたんじゃが、ほんまなんか?

sa-tan
sa-tan

気圧で匂いが変わる、という話の裏は、今回調べた範囲では見つけられませんでした。そこは後で正直に書きます。ただ「土の匂い」のほうには名前の付いた物質があって、しかも生き物が出しているものなんです。先にそちらから見ていきましょう。

雨の匂いの主要な成分のひとつは、雨ではなく、乾いた地面の下にいる細菌が作っている。

雨が降ると立ちのぼるあの匂いには、「ペトリコール」という名前がある。名前の付いた年も、付けた人も、主要な寄与成分とされる物質を最初に取り出した年も分かっている。一方で、「なぜあの匂いを人間がこんなに敏感に嗅ぎ分けるのか」は、今回読んだ資料のどれにも答えが書かれていなかった。分かっているところと分かっていないところを、順に分けて並べる。

名前が付いたのは1964年。化合物ではなく「匂いの総体」に付けた名前だった

「ペトリコール(petrichor)」は、オーストラリアの研究者 Isabel Bear と Richard Thomas が1964年3月の『Nature』に載せた論文「Nature of Argillaceous Odour」(粘土質の匂いの性質)で提案した言葉だ。英語版ウィキペディアによれば、Thomas はそれまで「argillaceous odour(粘土質の匂い)」と呼ばれていたものにこの名前を与え、語源はギリシャ語の petra(石)と ichor で、論文は後者を岩や石から出る「かすかな精気(tenuous essence)」という意味合いで使っている。同じ解説は、二人が暑く乾いた状態にあった岩を水蒸気蒸留して、黄みがかった油を得たと紹介している。

名前を付けた時点で、二人は「ペトリコールは必ずしも決まった一つの化学物質を指すものではない」という趣旨を書いていた。英語版ウィキペディアが引く論文の該当箇所は、ペトリコールを「ある範囲の中で変わりうる、総合的な匂い」と位置づけている。つまり、のちに「雨の匂い=ゲオスミン」と言い切る説明が広まったとしても、命名の段階では化合物の名前ではなかった。Nature のページで読めるのは書誌情報と参考文献の一覧までで、本文は有料だったため、この趣旨は英語版ウィキペディア経由の確認にとどまる。

1964年3月
Bear と Thomas が『Nature』に論文を発表し、「ペトリコール」という言葉を提案する
1965年11月
Gerber と Lechevalier が『Applied Microbiology』に、放線菌から取り出した「土の匂いのする物質」ゲオスミンの論文を発表する
2015年
Joung と Buie が『Nature Communications』に、雨粒が土などの多孔質の表面に当たるとエアロゾルが出ることを報告する
2020年6月
Becher らが『Nature Microbiology』に、ゲオスミンと2-MIB がトビムシを細菌のコロニーに引き寄せ、胞子の拡散を助けるという論文を発表する
aiko
aiko

ほう。ならゲオスミンだけを小瓶に入れて嗅がせたら、それは雨の匂いになるんか?

sa-tan
sa-tan

なりきらないと思います。ゲオスミンは、ビートルートの土っぽさの原因でもありますし、養殖のコイやナマズの泥臭さの原因としても挙がる物質なんです。英語版ウィキペディアの記述ですけれど。同じ物質でも、「雨が降った直後の地面」という状況が揃ってはじめて雨の匂いとして受け取られる、ということだと思います。

aiko
aiko

状況で名前が変わる匂い、ということじゃな。……じゃが、その匂いを出しとる側の細菌にとっては何なんじゃ?わしらに嗅がせたくて出しとるわけではなかろう。

ゲオスミンは細菌が「胞子を運ばせる虫」を呼ぶために出している

ゲオスミンを最初に取り出したのは、先の年表の Gerber と Lechevalier だ。英語版ウィキペディアは、1965年に放線菌から単離され、主な産生者として放線菌の一種 Streptomyces(ストレプトマイセス)やシアノバクテリアを挙げている。この Streptomyces が何のために匂いを出すのかを調べたのが、2020年の Becher らの論文だ。

論文の要旨によれば、ゲオスミンの合成遺伝子はほぼすべての Streptomyces が持ち、2-メチルイソボルネオール(2-MIB)の合成遺伝子はおよそ半数が持つ。そして二つの物質は、胞子を作っているコロニーからしか出ない。胞子の形成に関わる転写因子が、合成の遺伝子を直接制御しているためだ。

表1 Becher らの2020年の論文が調べたことと、その結果
調べたこと結果
野外実験トビムシが Streptomyces のコロニーの匂いに引き寄せられた
触角の電気的な反応モデル種のトビムシ(Folsomia candida)の触角が、ゲオスミンと2-MIB に反応した
誘引同じトビムシは、ゲオスミンにも2-MIB にも引き寄せられた
遺伝子の制御合成の遺伝子は胞子形成の転写因子の直接の制御下にあり、匂いは胞子を作るコロニーに限られる
胞子の行方トビムシがコロニーを食べ、糞粒と体表への付着で胞子を運ぶ
注:行は論文の要旨の記述を編集部が並べ替えたもの。論文は「互いに利益がある関係とみられる」としており、種を問わず成り立つと断定しているわけではない。
出典:Becher et al.(2020)Nature Microbiology 5, 821–829。

論文の結論は、ゲオスミンと2-MIB の生産が胞子形成の一部であり、土の中の節足動物に胞子を運ばせることで Streptomyces の生活環が完結する、というものだ。要旨には、ゲオスミンと2-MIB は「人間やさまざまな動物がごく低い濃度で感じ取る」物質だとも書かれている。

aiko
aiko

虫を呼ぶ匂いを、わしらも嗅ぎ取れるんか。人間の鼻がそんなに敏感なのには、何か理由があるんじゃろ?

sa-tan
sa-tan

理由は今回読んだ資料のどこにも書かれていません。要旨にあるのは「敏感に感じ取る」という事実までです。人間の鼻がその匂いに合わせて進化した、と言い切れる根拠は手元にありません。

雨粒が地面に当たると、粒が舞い上がる

匂いの物質が土の中にあっても、鼻まで届かなければ匂いにならない。その「届け方」に関わるのが、2015年の Joung と Buie の論文だ。二人は、雨粒が濡れやすい多孔質の表面に当たったときの振る舞いを、さまざまな種類の土や工学材料で実験した。

要旨によれば、雨粒は多孔質の表面に当たるとエアロゾル(空気中を漂う微小な粒)を放出しうる。そのエアロゾルは、多孔質の素材に含まれるものを環境中へ運ぶ。表面の性質と衝突の条件が分かれば、大量のエアロゾルが出る場面を予測できるとも書かれている。

論文の要旨が示していること
  • 雨粒が濡れやすい多孔質の表面(土を含む)に当たるとエアロゾルが出る
  • 出たエアロゾルは、その素材の成分を環境へ運びうる
  • 表面の性質と衝突の条件から、出方を予測できる
要旨には出てこないこと
  • ゲオスミンなど匂いの物質の測定
  • 人が匂いとして感じる濃さとの対応
  • 小雨のほうがよく匂う、という話
出典:Joung & Buie(2015)Nature Communications 6, 6083 の要旨をもとに編集部作成。要旨に出てこないことが、本文にも書かれていないとは限らない。
aiko
aiko

わしの感覚じゃと、どしゃ降りより、ぽつぽつ降り始めのころのほうが匂う気がするんじゃが。

sa-tan
sa-tan

ゆっくりした雨粒のほうがエアロゾルが多くなる、という見立ては、英語版ウィキペディアが論文の推測として紹介しています。ただ、私が確認できた要旨には書かれていませんでした。ですからここでは「そういう説明がある」までにしておきます。aiko さんの体感が合っている可能性はありますが、この記事の資料から確かめられたとは言えません。

同じ匂いが、水道水では「苦情」になる

ゲオスミンと2-MIB は、水道水の世界では別の顔をしている。英語版ウィキペディアはゲオスミンの産生者にシアノバクテリアを挙げ、水質への印象にも関わる物質だとしている。この二つは、厚生労働省の審議会資料「水道水質に関する基準等」で、水質基準を補完する「快適水質項目」の13項目に並んでいる。

統計指標
水道水のゲオスミン・2-MIB の目標値 0.00001mg/L(水1Lに10ng)
換算:水1Lあたり10ナノグラムは、おおむね10ppt(1兆分の10)にあたる。
内訳:粒状活性炭などの恒久施設を使う場合が0.00001mg/L以下、粉末活性炭で処理する場合が0.00002mg/L以下。
調査:厚生労働省の審議会資料「水道水質に関する基準等」(参考資料1)。
読み方:英語版ウィキペディアは、人のゲオスミン検知閾値を報告により約5〜400ppt(1兆分の5〜400)の幅でまとめている。水道の目標は、その範囲の低いほうに入る。

水道の目標値は、報告されている検知閾値の範囲のうち低い側に置かれている。注意してほしいのは、この資料が古いことだ。URL から2002年ごろの資料と読み取れ、現行の位置づけ(快適水質項目のままか、水質基準に入ったか)は、この記事では確認していない。

aiko
aiko

同じ物質なのに、雨では「ええ匂い」で、蛇口からだと嫌われるんじゃな。何が違うんじゃ?

sa-tan
sa-tan

私の考えですが、「出どころが分かるかどうか」だと思います。雨の匂いは「降ってきた」という合図として読めますけれど、蛇口から土の匂いがすると、理由が見えないぶん「水が傷んでいるのでは」と感じてしまいます。もっともこれは感じ方の話で、この資料の数字が示すのは目標値までです。

「気圧のせい」を確かめてみた

ここで、冒頭の aiko の問いに戻る。気圧が下がると土から匂いが出る、という説明だ。今回の調査では、上に挙げた論文3本と審議会資料、英語版ウィキペディア2ページのどれにも、気圧と匂いの量を結びつけた記述を見つけられなかった。

「見つけられなかった」は「存在しない」とは別の話だ。気圧の影響を調べた論文が別にある可能性は残っていて、今回は探し足りなかっただけかもしれない。確認できたことと、できなかったことを分けておく。

✅ 「ペトリコール」は1964年に、決まった一つの物質ではなく総合的な匂いとして提案された(経路:英語版ウィキペディアによる引用)
✅ ゲオスミンと2-MIB は、Streptomyces が胞子を作るコロニーから出る(2020年の論文要旨)
✅ 雨粒が土などの多孔質の表面に当たると、エアロゾルが出る(2015年の論文要旨)
❓ 雨粒のエアロゾルが雨の匂いを運んでいるのか(論文要旨には匂いの話がなく、解説での推測にとどまる)
❓ 気圧が下がると土の匂いが強まるのか(今回読んだ資料に根拠は見つからず)
aiko
aiko

ということは、わしが聞いた気圧の話は嘘だったんか?

sa-tan
sa-tan

嘘とは言えません。「今回は裏を取れなかった」というだけです。もし気圧と匂いを結びつける研究が見つかれば、その時点でこの記事を直します。見つからないまま「そうらしい」と書き足すほうが、よほど怖いです。

aiko aikoが飲み込んだところ

要するに、次に誰かが「気圧のせいじゃ」と言い切ったら、わしは先に「それ、どこで読んだんじゃ?」と訊けばよいんじゃな。……境内の石畳に打ち水をして、似た匂いに「雨が来たんか」と空を見上げたことがあるぞ。降っとったのは、わしのまいた水だけじゃった。

NTM ニュース整理

「気圧」を見出しにしなかった理由

記事を書く前は、「雨の匂いと気圧」をセットにして柱にする案があった。検索で探されやすそうな形で、きれいな因果の説明にもなる。しかし裏が取れなかったので、柱にはせず、取れなかったことを本文に書いた。分かりやすい説明のほうを先に選びかけた点は、私たち自身が気をつけるべき癖として記録しておく。

ソース

参照した資料

論文は要旨・書誌情報を確認しています(Bear & Thomas の本文は有料のため未読)。英語版ウィキペディアは、論文の引用や検知閾値の幅を確認するために参照し、一次資料ではない点に留意してください。

the NTM Core Engine 参考文献・検証プロセス
S 85pt
PENDING Audit PENDING_MANUAL_REVIEW
1 一次情報
2 二次情報
参考文献・検証ログ 7件
  1. Nature of Argillaceous Odour(Bear & Thomas, Nature 201, 1964)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  2. Geosmin, an Earthy-Smelling Substance Isolated from Actinomycetes(Gerber & Lechevalier, Applied Microbiology 13, 1965)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  3. Aerosol generation by raindrop impact on soil(Joung & Buie, Nature Communications 6, 2015)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  4. Developmentally regulated volatiles geosmin and 2-methylisoborneol attract a soil arthropod to Streptomyces bacteria promoting spore dispersal(Becher et al., Nature Microbiology 5, 2020)
    分類保留 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  5. 水道水質に関する基準等(参考資料1)
    一次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  6. Petrichor(Wikipedia)
    二次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
  7. Geosmin(Wikipedia)
    二次情報 監査保留 最終参照: PENDING_MANUAL_REVIEW
Score Breakdown 85pt
Traceability 35/35
本文から根拠へ辿れる度合い
Diversity 20/25
出典の広がり
Evidence 25/25
根拠の強さ
Domain Bonus 5/15
一次資料・公的資料の補強
the NTM Core Engine review note

参照は 7 本あります。監査はまだ保留で、公開前の確認が残っています。

制作の流れ
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参照 7 本。一次情報 1 本 / 二次情報 2 本を当てて、本文の芯を固める。

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  • 2026-10-01: 初稿作成(自動起稿レーン・装填在庫)

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参考資料